連続小説 チチ蜻蛉 最終回

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    「離婚しちゃってさ、向こうが絶対会わせてくれないんだよ、娘に」
     向かいの歩道で数羽の鳩が一斉に飛んだ。
    「・・あ」
     そういう事だったのかと。
     クラクションが鳴り響いた。
    「まぁ、それ以上の話は・・ね」
     店長の言葉の濁らせ方に、傷跡の深さを感じずにはいられないヨシ子だった。でもその原因はきっとこの店長にあるのだろう。こんな人でも過ちを犯すのだろうか。
     娘さんは最後にどのような態度を店長に見せたのだろう。ヨシ子のようなそれだったら、父親としてさぞ辛かったであろう。否、そうでなくとも親子が会えない辛さは相当なものだ。だったら前向きに生きてゆく事で相手に余計な気を揉ませないようにするのが、互いに課された義務なのではないかとヨシ子は思った。
     店長は間違いなくそれを実行している。父親もきっとそうだったに違いない。
    「お願いしまーす、お願いしまーす」
     何事もなかったようにチラシを配りだす店長。
    「お願いしまーす、どうぞお願いしまーす」
     足踏みしているのは、やはりヨシ子だけだった。深いため息をつかずにはいられない。
    「娘と別れた次の日ね、俺一日中これやってたよ」
     笑顔で突然店長がいう。
    「そうでもしないとやってられなかったんだ。店内にいると、息が詰まっちゃってさ」
     店長はやりきれなさをこれにぶつけていたのだ。すると父親はあの日の翌日、どんな態度で仕事をしていたのだろうか。ヨシ子は知りたくなった。
    「あ、見て見て」
     店長が空を指差すと、先程のと思われるトンボが旋回していた。店長は手を休め、行方を追っている。
    「あ・・」再びサドルの上のとまった。どうやらお気に入りの場所らしい。
     道の真ん中でじっとトンボを見ている店長、仕事中である事も全く忘れてしまったかのようだ。先程の快活さが感じられない。店長もトンボに対し、何か思い出があるのだろうか。あり得なくもないなとヨシ子は思った。
     どこからか風鈴の音が聞こえる。
     何かを諦めたように、肩で一つ呼吸する店長。振り返ると表情は曇っている。ベンチで煙草をふかしていた父親のそれとかぶった。押さえつけられるような胸の痛みをおぼえたヨシ子。
    「つかまえましょうか?」
    「・・え?」
    「トンボ捕まえて店長にあげますよ」
     目を丸くしたのは店長だけではなかった。何故こんな事を咄嗟に言ってしまったのだろうかと、ヨシ子自身が驚いてしまった。


    「お母さんこれ・・幸せの子でユキコ?サチコ?」
     履歴書の保護者欄を見て店長が質問した。
    「サチコです。あ、すみません、ふりがな」
    「あぁ、いえいえ・・ふーん」
    「離婚したんです。私が六歳の時に」
    「あ・・そう・・じゃあ大変だね・・」
    「ええ」
    「ふーん・・そっかそっか」
     勿論父親がいない理由など問われたわけではなかったが、ヨシ子は当たり前のようにそう答えた。その方が変な空気を残さないで済むと思ったし、家庭事情を考慮して採用してくれるのではないかと思ったからだ。今思うと店長はその辺からヨシ子に一目置いてくれていたのではないかと感じた。

    「俺じゃないんだよ。欲しがってるのは」
    「・・・」
    「だからもういいんだよ」
     やはりそうだったのだ。
    「何、トンボ捕まえるの得意なの?」
    「・・ええ」
     嘘をついたヨシ子。
    「父に見せると褒めてくれたんで」
    「・・いいお父さんだったんだね」
    「はい。すごく優しいヒトでした」
    「・・そう」
     自転車がベルを鳴らし、店長がトンボの方へよける。
    「あ!」
    「ん?」
     トンボは羽ばたいた。今度は別れを惜しむようにグルグルと何度も輪を描きながら、最後はうす紫色の東の空に溶け込んでしまった。
     それでもしばし空を眺めていた。
     電車の警笛が風に乗ってきた。
     店長が鼻をすする。ヨシ子も鼻をすすった。
    「ま、ということです」
    「・・はい」
     二人目があった。互いに艶のある目だった。照れくさくてすぐに逸らした。
    「ま、頑張りましょう」
    「はい」
     ヨシ子は自然に笑みがこぼれていた。
    「どうする?」
    「あ、じゃあこれ配り終わるまで・・」
    「お、じゃあ競争しようか」
    「はい、じゃあ頑張ります」
     手の汗をエプロンで拭き、咳払いをするヨシ子。その表情はいささか固く、息も乱れており、まるでスタート直前の短距離選手のようだった。
     影はほぼ真っ直ぐ路上に伸びていた。(了)

    (写真 タイ・チェンマイ 筆者撮影)

    コメント
    ご無沙汰しております。
    「チチ蜻蛉」拝見しました。
    ヨシ子ほどではありませんが、わたしも長身で彼女と似たような経験を数多くしてきたので、まるで自分自身を見ているようで、はじめの方は読むのが少し辛かったです。
    ヨシ子とお父さんとの思い出、店長とヨシ子のやりとりがうまくシンクロしていて、切ないながらもどこか温かさが感じられて良かったです。
    思いがけない言葉だったり、店長のような人柄に触れたら、わたしならどうなるんだろう?・・・今のわたしだったらヨシ子みたいに気丈に振る舞えそうにないなって思いました。
    素敵な小説でした。
    また書いてくださいね。
    楽しみにしています。
    • マカロン
    • 2009/06/13 12:32 AM
    マカロンさんへ

    どうもお久しぶりです。
    ご感想いただけてとても嬉しく思います。

    実はこの小説、就職活動用に去年書き上げたもので、公表するの躊躇っていたのです。まともな表現が出来ていないので。

    でも、誰に見せるでもない作品というのも、何だか勿体ないなと。見るのも見ないのも、後は皆さんの判断次第だという思いに至って発表いたしました。

    以前「鍋島松涛没作品集」を手がけるという構想を描きましたが、世に出なかった僕の子供達を、これから時々発表致します。

    残りの「子供達」は脚本形式なので、読みづらいかも知れませんが、よかったら目を通してみてください。

    マカロンさんが長身だったとは知りませんでした。ヨシ子と似たような経験があるという事ですが、そいういう経験て残りますよね。特に女の子は。

    街で背の高い女性を見ると、必ず足元を見ます。以前はぺったんこ靴を履いている方が多く見受けられましたが、最近はハイヒールの方も目立ちます。時代は変わったなと感じる今日この頃です。

    マカロンさんはヒール履いてるのですかねぇ。僕は背の高い女性がヒール履くのは賛成です。何だか自信に満ちあふれているように見えますし。

    個人的な意見なので全く気にしないでください。
    鍋島松涛




    • 鍋島松涛
    • 2009/06/13 10:25 AM
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