お日柄のよい旅立ち

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    スースーすると同時に舌触りに違和感を感じる。

    ある筈の無い乳歯を嘗める癖が抜けない。しかも何だか柔らかくて頼りなげな歯肉を嘗めていると、小学生の頃に味わったあの感覚が蘇る。歯が抜け替わるのは、8歳前後だろうか。

    周囲より30年遅れで、最後の子供が僕の口から旅立っていった。

    本当は自分の手で抜きたかったのだが、さすがにそこまでの勇気はなかった。その分、痛みを伴った別れにしたくて「麻酔無しで抜いてください」と頼んだ。

    優しそうな女性の歯医者さんであったが、何のためらいも無く、豪快に直接手で抜いた。

    ゴリゴリ(歯をローリングする音)ゴキツ(抜ける音)と。

    一瞬の痛みに体が硬直した。

    「抜かないでって言ったでしょ!」

    半泣きで母親に抗議した時の事を思い出した。

    グラついた乳歯を見せると必ず抜かれてしまうので、抜かないという約束をしてから口を開けるのだが、母はそれをいとも簡単に破った。所詮口約束だったわけだ。

    といっても、痛みは一瞬だったので、母への恨みと抗議もあまり長く続かなかった。

    「抜かないでよ」と言っておきながら、本当は抜いてもらいたかったのかもしれない。何故ならその約束を破られたのは一度や二度ではないからだ。

    「根っこがきれいに残ってますね」先生は関心してくれた。折角なので持ち帰らせてもらうことに。

    ビニールに入った幼なじみが目の前にある。

    舌はそこにある筈のそれを探し出そうと、必死にそこを探っている。しかしそこはすでに更地である。

    そう言えば今日は4月29日だから、歯肉の日なのだろうか。

    だとしたら旅立ちにはうってつけの日だったのかもしれない。

    (写真 ラオス・ルアンブラパーン 筆者撮影)




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