卒業式の記憶 記憶と卒業式

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    東北関東大震災の影響が、様々な催し物等にも影響を及ぼしている。心理的、物理的な問題もあり、自粛、中止するのは当然なのかもしれない。ただ個人的な意見として、卒業式だけは行うべきだと思う。ここから先は全て僕個人の経験なので、どの位普遍性があるか分からないが是非読んでいただきたい。僕は保育園から大学に至るまで、全ての卒業(卒園)式の記憶が残っている。勿論断片的ではあるものの、入学式と比べても、圧倒的に記憶されているようである。

    保育園で歌った事も記憶に残っている。「いつの事だか思い出してごらん、あんな事、こんな事、あったでしょ・・」子どもながらにいい歌だと思っていた。式が終わっても、普通にブランコ等で遊んでいた。すでに空も暗くなったいた。

    小学校は、大抵の子が正装していたのにも関わらず、僕は普段着だったので恥ずかしく感じた。中学は、些細な事で口をきかなくなった女の子と和解をした。高校の時は、好きだった女の子に呼び止められ「もしかして」と思ったら、単なる事務連絡でがっかりした事。

    そして大学は、丁度地下鉄サリン事件当日であった。小田急線の鶴川が大学の最寄り駅で、僕は千代田線直通の電車に乗って向かった。時間は確か10時前である。乗ったと同時に軽い頭痛に見舞われた。勿論理由等分かるわけでもない。偶然かもしれない。

    学校では、「誰かが地下鉄でシンナー撒いたらしく、病院に運ばれてる人がいるんだってさ」「なんじゃそれ」当時はそんな程度の認識であった。

    サリン事件の後日、それが原因で卒業式が中止になっていたら、何で中止になったのか、そもそもサリン事件が起こったのはいつだったか定かではなくなってしまうような気がしてならない。今回の震災で言うと、「こんな時だからこそ」という思いは、送る側、送られる側もひとしきりではないだろうか。卒業式には普段では経験出来ない悲しみ、喜びがある。今年は特にその色が濃い筈だ。だからこそ、卒業式だけはどんな形であれ行なって欲しい。

    学校側としては、単なる恒例の行事として捉えているだろう。安全、風潮、電力問題など考えれば、リスクが優先され「今年は中止にした」にすればいいかも知れないが、卒業する側には今年しかない事を理解してあげてほしい。震災を風化させない為にも。

    今日は地下鉄サリン事件から丁度16年の日(95年3月20日)である。日にちまでは忘れてしまっていたが、調べてみるとまさにこの日であった。滅多に更新しないのに、この記事を書こうと思ったのは偶然だろうか。

    (写真 筆者撮影)



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